片柳すすむ

かたやなぎ 進
日本共産党前川崎市議会議員
市議会傍聴レポート(議会活動報告)

JFE跡地の扇島に公害資料館と公園をー予算審査特別委(5)

2023年3月12日

3月8日の予算審査特別委員会で、質問を行いました。

今日紹介するのはJFE跡地の扇島に公害資料館と公園をです。

(この記事はメモを元にしたもので議事録ではありません)

質問① JFEが扇島に移転した経緯は?

次に、JFEスチールの跡地利用についてです。

ディスプレイお願いします。高炉休止の後に、JFEが扇島から撤退していくということになりますが、元々川崎区は遠浅の干潟と海があり、海苔や漁業も栄えていました。工業化と埋め立てがはじまる中でも扇島は海水浴場として利用され、首都圏の市民に親しまれてきました。

片柳DP 扇島

その後JFEの前身の日本鋼管の排出する大気汚染公害が大問題となる中で、内陸部にあった工場が扇島へ集約され移転することになったと伺っています。日本鋼管の扇島への移転と大気汚染公害の経緯について伺います。

答弁① 環境局長

日本鋼管の扇島への移転等に係る経緯についての御質問でございますが、

昭和44年3月に日本鋼管から、扇島前面海域に埋立地を造成し、川崎・横浜両市に分散している製鉄部門を移転し、合理化を図りたい旨の申し入れが神奈川県、横浜市、川崎市に対してありました。

その後、昭和45年12月に神奈川県、横浜市、川崎市、日本鋼管の4者間で公害防止協定が締結され、製鉄所の主要部分を扇島地区に移転する際の公害防止対策などについて取り決めがなされました。

この当時は、市内の工場・事業場の多くが大気汚染対策に取り組んだことで、主な大気汚染の原因とされた硫黄酸化物が急激に減少し、昭和54年度以降、三酸化硫黄の環境基準は継続して達成している状況でございます。

意見 大気汚染公害の発生源となったのが日本鋼管

川崎の大気汚染公害の発生源の中心となったのが日本鋼管でした。1969年に合理化のための扇島移転を申し入れ、1970年に公害防止協定、1976年・79年に扇島に高炉2基が完成していく経過とのことです。

質問② 扇島のJFE跡地は干潟を復元し公害被害を刻む公園に

次に土地利用についてです。今述べた公害の経過の中で日本鋼管が扇島に移転した経緯があります。市の「…土地利用に係る考え方」では、全体に「カーボンニュートラル」を大きく打ちだしながら、導入機能の候補として「大規模公園」も挙げられています。

脱炭素を打ち出すのであれば、公害の苦しみを刻み、市民の生業と憩いの場であった海が失われた歴史を残すためにも、干潟を復元し公害の記憶をとどめる機能を含めた公園とすべきと思いますが、伺います。

答弁② 臨海部国際戦略本部長

扇島地区の土地利用についての御質問でございますが、

昨年11月に公表いたしました「土地利用に係る基本的な考え方」におきましては、 2030年度までの一部土地利用開始を目指す先導エリアにおいて、水素を軸としたカーボンニュートラルの拠点等を導入機能として位置付けるとともに、エリア全体としては、 2050年頃の概成を見据え、多様な可能性を含む土地利用における導入機能候補を複数お示ししているところでございます。

そうした、導入機能候補につきましては、今後、段階的な整備の進捗を図る中で、国や事業者等のステークホルダーと協議を重ねながら、具体化に向けた検討を進めてまいります。

質問③ なぜ川崎の海の歴史を知る住民や公害患者などに意見を聞かないのか

先ほど見てきた経過を見れば、扇島のJFE跡地の利用について、公害の被害を受けた方々や、海苔の生産に関わってきた川崎の海の歴史を知る方々、など市民の声を反映すべきです。しかし、市の「~土地利用に係る考え方」を見ると、土地利用検討会議には学識経験者と企業代表しか参加していません。土地利用に関わる意見も、もっぱら国の動向や方向性を意識したものばかり出されています。なぜそうした地域住民や公害被害を受けた患者などに意見を聞かなかったのか、伺います。

答弁③ 臨海部国際戦略本部長

「土地利用に係る基本的な考え方」についての御質問でございますが、

扇島地区の土地利用転換につきましては、本市がかつて経験したことのない大規模なものとなることから、川崎臨海部に対する知見が豊富で、国の審議会等に参画するなど、広域的な視点を有する学識経験者から構成される「扇島地区土地利用検討会議」での意見聴取を軸に、扇島地区の果たすべき役割や度地利用の方向性等の基本的な考え方を、昨年11月に取りまとめたところでございます。

今後に向けましては、パブリックコメント手続により、市民の皆様の幅広い御意見を伺った上で、本年9月までに土地利用方針を策定してまいります。

質問④ 扇島に公害資料館の設置を

1982年に提訴された第一次公害裁判は、1996年に和解し、加害企業13社は共同で「事業所所在地域の一員であるとの認識のもとに、更に一層地域の皆様との友好関係を深め、地域の環境の改善をはかっていく」との声明を発表しています。

片柳DP 扇島2

この間私たちは、大気汚染公害によって多くの市民の命が失われてきたこと、市民に広く健康被害が広がる中で、厳しい規制条例をつくり、緑を守り、空気を改善してきた経験を正面から伝える資料館が必要だ、と求めてきました。

「地域の一員と認識して、更に一層地域の皆様との友好関係を深め、地域の環境の改善をはかる」と言って和解した日本鋼管を引き継ぐJFEが扇島から離れるということになります。扇島への移転の経緯などから見ても、この場所に公害資料館をつくるべきと思いますが、伺います。

答弁④ 環境局長

JFEスチール跡地への公害資料館の設置についての御質問でございますが、

本市が経験した公害の歴史や記憶を風化させることがないように後世に引き継ぐことは重要であると考えており、現在、環境総合研究所が入る川崎生命科学・環境研究センターの部皆にアーカイブスペースを設け、本市の公害克服に向けた歴史や優れた環境技術などを映像や展示物などにより紹介しております。

また、 GIGAスクール構想に対応し、電子化した環境副読本を活用するとともに、市ホームページで公開するなど、様々な形で公害の歴史を学ぶことができるよう工夫しながら取組を進めているところでございます。

市政100周年を機に、川崎の発展と環境の歴史を改めて整理するとともに、エコ暮らし未来館などの既存施設との連携も含め、公害の経験や克服に向けた歴史に関する情報を伝える様々な取組を進めていきたいと考えておりまして、現時点で新たな施設を作ることは考えておりませんが、未来の環境に向けた行動を考えるきっかけとなるよう、多様な世代に分かりやすい情報発信に取り組んでまいります。

意見要望 意見を聞き、公園と公害資料館を

現時点では新たな施設を考えていないとのことですが、先導エリア以外の土地利用は2031年以降という計画です。川崎の海を知る方々、公害の被害を受けた方々に今、ご意見を伺わなければ間に合いません。川崎の歴史を土地利用のあり方に生かすために、意見を聞く機会を設けること、また公園と公害資料館の設置を要望して、質問を終わります。

片柳すすむ

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