片柳すすむ

かたやなぎ 進
日本共産党川崎市議会議員
プライベート

1923年の掘割川であったこと

2020年5月15日

コロナ以後、横浜の実家に子どもを預けに行くことが増えました。

気になってずっと行きたかった場所に、先日ようやく少し寄り道をすることができました。

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横浜市南区の「寶生寺」。週刊新聞「新かながわ」で知った、関東大震災の際に虐殺された朝鮮人の方々の慰霊碑があるお寺です。

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慰霊碑裏の碑文をそのまま(旧字を一部変換・ルビ付け、改行を追加)掲載します。

労働市場を求めて来日関東一円に在住した韓国人が大正十二年九月一日正午襲った関東大震災に因る直接又は間接の被害を受けて空しく異国の露と消えた
これらの怨霊は永いこと忘れ去られていたが
第二次世界大戦の終結後社会事業家で横浜在住の故李誠七氏の努力と当時の住職故佐伯妙智先生の好意によりこの地に鎮魂
以来毎年九月一日を期して民団神奈川県地方本部主催で慰霊祭を挙行して来た
紀元一九七十年九月一日例祭の折孫張翼田炳武鄭東仁氏が中心に発起人一同の賛同を得て
本県在住同胞有志の浄財の寄付と現住職佐伯眞光先生の土地提供の好意を得て幸い茲(ここ)にこの慰霊碑を建立
永遠に関東大震災による韓国人怨霊の冥福を祈るものである

「関東大震災に因る直接又は間接の被害を受けて」に目が止まりました。
『間接の被害』と遠回しに表現していますが、そこには虐殺の事実があったこと。
関東大震災から48年経ってようやくこの日が建立されたこと。

これらを改めて心に刻みたいと思います。

前にブログにこんな記事を書きました(http://www.katayanagi-susumu.jp/archives/2613
同じすぐ近くのまちで生まれ育って同じ時期を過ごし、今や大スターとなった同級生が、

この国に生まれ育ち愛し生きる

なのに知らないことばかりじゃないのか?

この国で泣いて笑い怒り喜ぶ

なのに国歌はこっそり唄わなくっちゃね

美しい日本チャチャチャ

外国人の友達が祈ってくれました

「もう二度とあんな戦いを共にしないように」と

TVじゃ深刻そうに右だの左だのって

だけど君と見た靖国の桜はキレイでした

という歌詞を書き、「どうして胸を張っちゃいけないのか?」と唄いました。

1923年にここで何が起きたのか。

なぜその時に朝鮮人の方々が日本にいなければならなかったのか。

日本が胸を張るべきなのは何か、張っちゃいけないのは何か。

今を生きるためにも、もっと知り、知らせなければ。

自分も頑張るが、

社会的な影響力の大きい大スターなんだから君らも頑張ってくれ、

と思うのです。


おまけですが。

この寶生寺の植生も貴重なものだと建てられていた横浜市教委の看板から知りました。雰囲気の良い落ち着くお寺さんでした。このお寺の山は「掘割川」をはさんだ米軍住宅側の山とかつてはつながっていたのでしょうか。そういえば自分が育ったまちなのに、この掘割川がいつつくられたのか、その前はどうなっていたのか、あまり知らなかったことに気づきました。

引き続き、川崎の今と昔を知ることをメインテーマにしつつ、生まれ育ったまちのことにも興味を持っていきたいと思います。

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