片柳すすむ

かたやなぎ 進
日本共産党川崎市議会議員
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1966年、当時の川崎市議会は「臨海工業地帯の飛行禁止」を全会一致で求めていた

2019年6月12日

1966年(昭和41年)3月10日に川崎市議会で採択された意見書。直後の3月29日にも同趣旨の請願が全会一致で採択されています。
この画像は、当時の「議会だより」です。

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【臨海工業地帯の飛行禁止に関する意見書】

最近の相次ぐ大型旅客機の事故により、航空史上最大の犠牲者をだすにいたったことは、まことに遺憾である。
これら一連の惨事は、全世界の人々に深刻な衝撃を与えるとともに航空機の安全性に対する限りない不安の念をいだかせるにいたった。
とくに、羽田空港に隣接して石油化学等の一大工場地帯をもつ本市市民にとって、この上空で繰り返される低空飛行は、まことに寒心に堪えない次第である。
とくに石油化学工場の多くはきわめて有機的な関連性を持つ一触即発の危険物施設があるため、万一この一角に航空機が墜落した場合の惨事は、想像を絶するものがある。
よって政府におかれては、本市市民を不測の災害から守り、生活の安全を確保するため、即刻本市臨海工業地帯を飛行禁止区域に指定されるよう強く要望するものである。
以上地方自治法九十九条第二項の規定により、意見書を提出する。

昭和四十一年三月十日 議会議長名

内閣総理大臣    
運輸大臣     宛


これまで1970年の「通知」を取り上げ、その前段に市議会の要求があることは知っていたのですが、その経緯を調べるところまで至りませんでしたが、後藤まさみさんと議会図書室の昔の議事録を逐一調べる中で原典に到達しました。

「通知」に至る経過に触れている「川崎市議会史」の記述はなかなか興味深いです。

川崎市議会史 第3巻より

「四十一年二月から三月にかけてのわずか一カ月間に、全日空機の羽田沖墜落事故、カナダ航空機の羽田空港における激突事故、さらにBOAC機の富士山上空における墜落事故などが相次ぎ、航空史上まれにみる大惨事となったが、これには、羽田空港とは目と鼻の先にあり、離着陸する飛行機の低空飛行コース下に臨海コンビナートを抱える本市としても、重大な関心を払わざるをえない状況にあった。万が一その上空で墜落事故でも発生すれば、想像を絶する大災害になることは明らかだったからである。この年三月二十日から四月十九日までのちょうど一カ月間に、コンビナート上空を飛んだ飛行機数は一六五機にも上っていた。」

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その後の動きについても面白い記述が続くのですが、詳細は画像を見てください。

市長にも議会にもこのときの立場を貫くように求めていかなければ!

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