片柳すすむ

かたやなぎ 進
日本共産党川崎市議会議員
プライベート 活動レポート

渡田新町は古多摩川の跡の三日月湖だった―川崎区の川の痕跡探訪シリーズ

2019年6月5日

ひと月半ぶりの不定期連載『川崎のまち歩き暗渠(川の痕跡)探訪シリーズ』です。

きょうは満を持して【渡田新町は古多摩川の跡の三日月湖だった】という話です。

「三日月湖」というのは、こういうものです。
https://twitter.com/ogugeo/status/675591859310338048?s=09
川は下流の平地では、くねくね曲がって流れいきます。大雨で洪水になると、曲がっている根本部分をショートカットするようにつながる新しい流路ができて、元々の曲がっていた部分は次第に流れから切り離されて、陸に取り残されて、三日月型の湖や沼などになります。これが「三日月湖」です。

Screenshot_20190604-234543

上の地図は「治水地形分類図更新版」という地図です。
青の横線部が「旧河道」。
黄色い部分が「自然堤防」。川の流れで土砂が長年積もって周りより少し高くなったところです。
そのまわりの薄緑部は「氾濫原」といい、洪水のときなどには水が入っていたところ。
右上のいまの富士見公園付近は「後背湿地」で、洪水以外の時期にも水がたまりやすい湿地。
見事にひらがなの「つ」の字型に、いまの渡田新町公園からはじまる昔の河の跡が出ています。

Screenshot_20190604-234648

1950年前後の航空写真(上)を見ると、新町公園が沼だったことそこから水路が「つ」の形に続いている様子が見えます。

『川崎の町名』という文献を見ると、かつての多摩川は、横浜市鶴見区と川崎区・幸区の境あたりから川崎区池田へ、そして渡田へと流れていて、その流路が変わった跡の三日月湖を埋め立てたのが『渡田新町』の起こりだとのこと。
「新町」というのは、埋め立てなどでできた土地をさすということはなんとなく知っていたのですが。

また、1枚目の地図の黄色い「微高地」をよく見ると、新田神社と成就院が含まれているのがわかります。

Screenshot_20190605-003017

上の1900年頃の地図を見ると、これも見事に「つ」の字の部分は田んぼ、それを避けて集落が形成され、その中心に神社と寺があったことが見てとれます(青いマーカーあたりが今の新町公園のほぼ東端)。

別にこれ以上面白いことも書けないのですが、自分にとっては興味深いんですよね。「昔はここが多摩川だったのか!」とか「なにかその痕跡はないか?」とか「この道は鎌倉時代くらいからあるのか!」とか思いながら歩いてみたり。

<地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです>

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