片柳すすむ

かたやなぎ 進
日本共産党川崎市議会議員
プライベート 活動レポート

浅野町工業団地と「新川堀」

2019年2月3日

革新市政時代「町工場が安心して操業できるように」ー浅野町工業団地のなりたち

先日、お世話になっているある会社の社長さん・会長さんにご挨拶するために浅野町工業団地に行ってきました。
元々川崎市内では住宅と工場が近接していたため、煤煙や騒音、振動などが市民生活に影響を及ぼすようになってしまいました。1971年に伊藤三郎革新市政が誕生し公害対策をすすめるとともに、「地域で形見の狭い思いをしていた中小企業が安心して操業できるように」と、臨海部に工業団地をつくり、たいへん喜ばれたと聞いています。
こうした中小企業に寄り添う市政を取り戻したいと思います。

この浅野町工業団地はその一つ。1980年に市が用地を買い取って市内の中小企業の集団移転をすすめ、1982年から順次操業したとのことです。
この工業団地には現在80社が操業しています。
http://www.asanodanchi.sakura.ne.jp/

「新川掘」の昔と今

さて、
私の事務所から浅野町工業団地をめざしました。車のナビに従っていくと、左に桜川公園、右に大島ポンプ場がありました。

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そうそう、ポンプ場で思い出しました。新川通りからこの道まで、道の下には「新川堀」が流れているのでした。

「新川掘」とは、1650年に現在の川崎駅前から農業の排水のための水路として海へとまっすぐ掘られた堀です。臨海部の工業化が進んだ1930年に埋め立てられて暗きょになり、その上が「新川通り」として交通強化に役立てられました。

明治期迅速側図と並べて見るとよくわかります。

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上の写真の星の左下が、皐橋(さつきばし)です。

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上の写真の星印の左下が、はじめの写真2枚を撮影したあたり。

その下(「川」の字のところ)あたりに今も運河が残っています。浅野町工業団地側から近くに行ってみました。
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「新川堀上の道路の幅より、運河のほうが幅が広いのはなぜだろう」と思ってさらに地図を眺めていると、ちょうどこの産業道路のところが「明治迅速側図」を見ると、河口となっているのがわかりました。
江戸期につくられた「新川掘」はここで終わり、これより下流部分は明治期の埋め立てで作られた運河だということなのでしょう。

この運河、東向きだから朝焼けの時間にきたらさぞかしきれいだろうなあ。そしてその景色は工業化される前の江戸期までの川崎の景色の面影を感じられるのだろうなあ、と思ってしみじみとします。

次はぜひその時間にまた来たいと思います。

*このブログ上の地図は、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」((C)谷 謙二)により作成したものです*

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