片柳すすむ

かたやなぎ 進
日本共産党前川崎市議会議員
プライベート 活動レポート

【4年前のブログから転載】決して忘れない20年前の初心(+α)

2019年1月17日

阪神淡路大震災から24年目の1月17日です。自分の人生にとって大きな転機となったのがこの震災でした。4年前のブログに少し追記します。

*****以下4年前のブログ(若干追記)*****

20年前のきょう、高校3年生の1月だというのに受験にたいしてやる気を失って日々だらだらしていた私は、母親からの電話で起こされました。
「神戸が大変なことになっている。すぐテレビをつけろ」と言われました。

その後もなんだかんだ2週間ほど、さらにだらだらと生活を続けていた自分は、
「受験もせずだらだらしているくらいならボランティアにでも行きなさい」母からの一喝と、そのときの民青同盟の地区委員長の「地区委員会から神戸にボランティアに行く人がいるんだけど」という電話で、「僕も行きたいです!」と志願してボランティアに行くことになりました。

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20年前=18歳の時に現地の日本共産党救援センター前で撮った写真…若い!細い!!)

現地では、古い木造住宅の密集地域でとくに多くの方が命を落とされていました。
まだバブルの余波があるころでしたから今と違い「貧困」はずっと見えにくかったし、社会的に認識されていなかったので「貧富の格差だけで、人の命が変わってしまう」という事実にはじめて直面して驚きました。
少なくとも命は平等の社会をつくりたい、と後に日本共産党に入りました。
この時期、勉強につまづいて「自分の存在価値はあるのか」と思い悩んでいました。被災された皆さんとふれあい「ありがとうな」「どういたしまして。そのかわり今度神奈川で大地震があったら助けに来てくださいよ」「あはは、そやな助けに行かなあかんな」などと言葉を交わす中で、「自分などたいしたことない存在だが、それでも捨てたもんじゃない」と思え、「なぜ貧困が生まれるのか、災害で苦しむ人が生まれるのかを学ぼう」と思うことができ、社会福祉学科に進学することになりました。
ボランティアから戻ってきた後、民青の先輩からは「なにか変わったね!」と言われたのを覚えています。

あれから20年、安倍政権のもとで、貧困はさらに広がっています。
悪政から市民の命と暮らしを守るのが、地方議員の使命です。
なんとしても宮原春夫市議からバトンを引き継いで、市民の命とくらしを守る役割を果たしたい。
阪神淡路大震災から20年目の今の思いが、20年前とぶれていないことに、今ささやかな誇りを感じています。

**********

このブログからさらに4年、ここからぶれていないことを確認できました。
「国民の苦難を軽減する」という共産党の立党の精神、「命は平等の政治をつくる」という自分の初心からみて、まだまだとても十分とはいえませんが、市議会議員として相談活動などでなんとか生活実態を改善できたり、衣食住を確保できた人の顔が何人か思い浮かびます。

微力ですが、このときの初心を貫き、さらに発揮できるように、まず目の前の大きな課題を乗り越えたいと思います。

片柳すすむ

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