片柳すすむ

かたやなぎ 進
日本共産党川崎市議会議員
プライベート

川崎のまち歩き・渡田4丁目~渡田山王町・小田1丁目の暗渠探訪

2018年9月21日

不定期連載?の、川崎のまち歩き・暗渠(川の痕跡)探訪シリーズです。

洪水ハザードマップの全戸配布について質問していたのが今年6月に具体化されて配布。その直後に西日本豪雨災害や台風21号などの水害が続きました。
北海道胆振東部地震では、暗渠のあとが大きく地盤沈下している様子なども報告されています。
そうした中で、地域のみなさんを訪問・対話すると、「昭和33年(1958年)には鶴見川があふれて、うちも床上浸水したんだ」などの声を伺うようになりました。
あらためて、知的好奇心からはじめた川の痕跡探しですが、大事なことだと思い知らされています。


今回は、先日訪問した渡田地域の方との対話の中で、「昔、小料理屋荒井さんの前のドブ川があふれたことがあるのよ」との話をききました。

確かに、前にいつもの「今昔マップ」を見ていたときに、「ここも川だったのか!」と思った記憶があります。確認したらやはりそうでした。

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この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。

地図の右側が現在の地図(「渡田4」と書いてあるあたりが荒井さん)、左側が明治期の地図です。

よく見ると天飛トンネルの上の部分で、線路をはさんで渡田山王町・小田1丁目の路地と向かい合わせになっている道も、荒井さんの前のドブ川がつながっていた痕跡だということが分かります。

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実際に渡田4丁目側のお宅を拝見すると、昔の護岸の名残でしょうか、水が上がったときに備えてでしょうか、玄関が少し高くなっているような様子です。

 

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渡田山王町・小田1丁目側に渡ってみると、断言はできませんが川の周りに良くある段差の付いたアプローチとなっています。階段数段を上がった少し高い位置に玄関があるのもそれらしいな、と思わされます。

今度は周辺の方に真偽のほどを伺ってみたいと思います。

*この路地に沿ってあったと思われる川の痕跡は何とかなく見えてきましたが、この川とx字状に交差しているもうひとつの川は住宅の下になっているので痕跡は分かりませんでした。

だんだん忙しくなるけれど、時々はこのシリーズを続けたいと思っています。

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