片柳すすむ

かたやなぎ 進
日本共産党前川崎市議会議員
活動レポート

後援会観劇会の前に、墨田区・横網町公園へ

2018年5月15日

13日(日)は日本共産党南関東ブロックの観劇会で、国立劇場に前進座の「人間万事金世中(にんげんばんじかねのよのなか)」を見に行きました。

党川崎区後援会はバスを借り切って、東京都立横網町公園と旧安田庭園(と吉良上野介宅跡)を見学してから国立劇場に向かいました。

横網(よこあみ)町公園なのですが、区後援会のM野事務局長は両国国技館のすぐ近くだからか「よこづな町公園」と言っていました(笑)。昨年、小池百合子都知事が朝鮮人犠牲者を悼む式典に小池都知事が追悼文を送らなかったことが問題になったその現場です。読み間違えはともかく、見学場所の選択はさすがです。

この公園の元となった広場に次々と関東大震災の被災者が集まり、避難者が打ち捨ててきた家財が導火線となってそこに火災旋風が襲ってきて、圧死・焼死されたこと。その後元々関東大震災の犠牲者のために作られたのが、東京大空襲はじめ戦争犠牲者の慰霊も後から加わったことなど、慰霊堂やこの公園の由来を職員さんに説明していただきました。お寺、神社のようでもあり、キリスト教会やモスクの様でもあり、かといってごちゃ混ぜの感じでもない、どんな宗教の人も来られるようにと工夫された建物も荘厳でした。

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空襲で焼け焦げた死体の折り重なる写真などとともに、関東大震災時の「自警団」の様子や、「流言飛語による治安の悪化」というパネルも展示されており、朝鮮人などが暴行・殺傷されたこと、亀戸事件で社会主義者も殺傷されたことなどが書かれており、「注意!有りもせぬ事を言触らすと、処罰されます(原文は旧字体・仮名づかい)」「朝鮮人の狂暴や、大地震が再来する、囚人が脱獄したなぞと言伝えて処罰されたものは多数あります」という警視庁の通知も紹介されていました。

ちょうど市民団体のフィールドワークが、朝鮮人犠牲者の追悼碑の前で行われていたので、横から碑の写真だけ撮らせていただきました。

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「この歴史永遠に忘れず 在日朝鮮人と固く手を握り 日朝親善 アジア平和を打ちたてん」という碑文、当たり前のことなのに、いまの日本は遠く離れているように感じます。この碑文に恥じないように私も歩みたいし、同じ思いの仲間を増やしていきたいと思います。

参考

○潮流(20170901・しんぶん赤旗)
東京は田端の自宅で関東大震災にあった芥川龍之介は「大震雑記」を書き残しています。その中に戒厳令がしかれた後の菊池寛との雑談があります▼文中では伏せ字ですが、大火の原因は朝鮮人だそうだという芥川に対し、菊池は「嘘(うそ)だよ、君」と一喝。さらに不逞(ふてい)鮮人はボルシェビキの手先だそうだというと、「嘘さ、君、そんなことは」と叱りつけられたと。芥川は「善良なる市民になることはとにかく苦心を要するものである」と皮肉を込めています▼「朝鮮人虐殺事件は過般の震災に於ける最大の悲惨事でなければならぬ」。当時東大の教授だった政治学者の吉野作造は、不安の中で人びとがいかに荒唐無稽な流言飛語におびえ、それを自警団や官憲が扇動したかを事実で示しています▼明らかにされてきた数千人にも及ぶ虐殺の真相と記録。そこには朝鮮人や中国人への差別や偏見とともに、戦争に突き進んだ権力の凶暴な思想弾圧もありました。その歴史を学び、教訓を生かすために毎年実施されている朝鮮人犠牲者を悼む式典に小池都知事が追悼文を送らないといいます▼特別な形での提出は控えたというのが理由ですが、災害による死と殺された犠牲者を同列視するのか。異例の判断には歴史をゆがめる勢力の策動をうかがわせます▼きょう、94周年の追悼式。会場の墨田区横網町公園にある朝鮮人犠牲者の追悼碑にはこう刻まれています。「この歴史永遠に忘れず 在日朝鮮人と固く手を握り 日朝親善 アジア平和を打ちたてん」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-09-01/2017090101_06_0.html

○小池都知事追悼文断る 関東大震災での朝鮮人虐殺(20170825・しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-25/2017082514_01_1.html

片柳すすむ

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